不安を力に変えてきた国、日本。― 2040年への道標 ―
- 5月2日
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日本は、世界でも独自の文化を持つ国です。その背景には、「不安と共に生きてきた歴史」があります。地震、台風、洪水、火山。この国は、常に予測できない変化の中にありました。農耕社会においては、天候ひとつで収穫が左右され、不作や疫病は命に直結してきました。明日がどうなるかわからない。それが、古き日本人が抱えてきた不安でした。だからこそ私たちは、「どう支えあって生きるか」を考えてきました。

不安が、人と人をつないできた
本来、不安は人を孤立させるものです。しかし日本では、逆の現象が起きました。一人では生きられない。だから助け合う。相手を思いやる。関係を大切にする。文化人類学者 中根千枝 が示したように、日本社会は「関係性」を軸に成り立っています。生き延びるために選び続けてきたものです。日本の優しさは、弱さではない。経験に裏打ちされた強さです。
「異文化を重ねる」という文化
もう一つの特徴は、価値観の受け入れ方にあります。日本は、神道を基盤としながら、仏教や外来文化を取り入れてきました。特徴は、「違いを消さない」ことです。違いはそのままにする。そのまま関係性をつくる。
たとえば、
クリスマスを祝い
ハロウィンを楽しみ
お盆には祖先を迎え
七五三で子どもの成長を祈る
異なる価値観が、自然に共存しています。日本人は、宗教や文化を関係をつくるためのものとして扱ってきたとも言えるでしょう。
群馬は「共創の最前線」にいる
この話は、むしろ地方の現場でより顕著に表れています。私たちが拠点とする 群馬県 では、製造業、農業、介護など、あらゆる現場で外国人材が不可欠な存在となっています。実際に、働き盛りである20代外国人の比率は全国でも高い水準にあります。多くの外国人が、地域社会の中で働き、生活しています。

一方で、不法就労の問題など、「受け入れ方」そのものが問われている現実もあります。現場では、摩擦や戸惑いが生まれることもあります。しかし、それは同時に可能性でもあります。人が集まり課題が見える。課題が見えるから、次の一手を探すことができる。群馬は、単なる受け入れ地域ではなく、多文化共創の“先進県”になり得る場所です。
2025年・2040年問題は、すでに始まっている
厚生労働省の推計では、2040年度には約280万人の介護人材が必要となり、約69万人の追加確保が求められています。これは単なる人手不足ではありません。「誰と、この社会を支えるのか」という問いです。
不安とどう向き合うか
外国人に対して不安を感じる。距離を置きたくなる。これは特別なことではありません。人は本来、違いに対して不安を感じるものです。問題は、不安の有無ではありません。その不安にどう向き合うかです。距離を取るのか。理解しようとするのか。その選択が、関係を生むか、分断を生むかを決めます。
現場で生まれた「関係」
ある介護施設での出来事です。
帰宅願望が強く、不安定な状態が続いていた利用者様がいました。職員も関わり方に悩んでいた場面です。
そこに、来日間もない外国人スタッフが関わり始めました。日本語はまだ十分ではありません。それでも、そのスタッフは関わり続けました。相手を知ろうとし、好きなものや背景に目を向けました。やがて、その利用者様が好きな曲を一緒に口ずさみながら関わる中で、表情がふっと和らいだ瞬間がありました。
言葉は完璧ではない。それでも、「理解しようとする姿勢」は伝わる。その後、関係は少しずつ変化し、そのスタッフの顔を見ると安心するようになりました。関係をつくるのに、完璧な言葉は必要ありません。必要なのは、理解しようとする姿勢です。

私たちは、どちらを選ぶのか
不安は、「分断」の理由にもなる。同時に、「共生」のきっかけにもなる。私たちはいま、その分岐点に立っています。受け入れるのか。避けるのか。共に創るのか。これは制度の問題ではありません。一人ひとりの選択です。
最後にお伝えしたいこと
日本は、不安を力に変えてきた国です。そして群馬は、その次の答えを出す場所にあります。
多文化「共生」から、その先の「共創」へ。
違いをなくすのではなく、違いを力にする社会へ。
不安の中でも相手を理解し、受け入れ、共に支え合ってきた。
そうした歴史的背景のなかで強いコミュニテイーをつくり、ヒトに優しい文化のある日本。「次世代型共創」の選択の先に、2040年の道標があります。
株式会社ミヤマリンク
代表取締役 天田広


